この記事はAgent Grow Advent Calendar 2020 22日目の記事である。
不惑
「四十にして惑わず」という言葉がある。
孔子という人が「40歳で人生に対する迷いがなくなった」ということから、40歳を表す言葉らしい。
僕は今38歳で、来年すぐ39歳になる。
正直言って、人生に対する迷いがなくなりそうな気配は微塵もない。
精神年齢的なところでいえば、27歳くらいから成長していないような気がする。1)成長性E:超ニガテ
「人生に対する迷いがなくなる」というのは、どういうことなのか?
なぜ僕の精神が成長しないのか?大人になるって何?宇宙はどこから来たの?
そんなことを今回は考えていきたい。
なんか むつかしいことをかんがえよう これからの ぼくは
大人とは
大人とはなんだろうか。
普通に歳をとっていけば肉体的には大人になるはずなので、世間一般でいわれる大人とは主に「精神的な面で評価されている」と思う。
では、「精神的に大人」とはどういった状態だろうか?
中学や高校のころ、クラスに一人くらいは「こいつは他とは違うな」ってやつがいたような気がする。
なんとなく落ち着いているというか、しっかりしているタイプのクラスメイトだ。
そういうやつは「大人っぽい」と言われていた。「大人」ではなく「大人っぽい」だ。
多分見た目が大人ではないので「大人っぽい」だったのだろう。
精神の状態に肉体が追い付いていない状態で、周りが子供に見えていたかもしれない。
逆に、居酒屋とかでは「見た目が大人なのに子供みたいなやつ」もいたりする。
これは「子供っぽい」と言われる。
肉体の状態に精神が追い付いていないので、そういう所作になってしまうのだろう。
男は何歳になっても少年だしな。
何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど、「大人っぽい」「子供っぽい」といった言葉が存在する以上、生きた年月で精神が勝手に大人になることはないということだろう。
多分、精神的経験値みたいなのが日々微増していってて、何かのきっかけで急にレベルアップする仕組みとかに違いない。
容量について
「精神的に大人なる」ってのは、狙ってできるようなものではないような気がする。
ある日から大人になろうと決心し日々その対応を習慣付けても、やはり時間はかかるだろう。
僕が40歳になるまでには間に合いそうにない。
もっと手っ取り早く大人になりたいのだ。僕は。
なので、「物質的に大人になる方法」を考えてみた。
キーワードは「容量」である。
人間的に許容可能な容量。これを広げることで物質的に大人になれるのではないかと考えた。
ライオンとか鹿とかの野生動物は、侍らすメスの数が多いほど大人だ。
それは容量に他ならない。
これを人間に置き換えると、自分の人生に「自分以外をどれだけ許容しているか」がポイントになってくるだろう。
僕の家庭では奥様が1人いて子供はいないので、家庭内での許容人数は「1人」ということになる。
奥様側から見ても、僕がいるので「1人」ということになるだろう。
家庭外だと仕事仲間とか部下とか、「1人分」ではないにしても多ければ多いほど人間的な容量を必要とする。
課長だと平社員より多いだろうし、部長だと課長より多い。社長とかになると会社の規模にもよるけど胃に穴空きそうなくらい容量を食うだろう。
国会議員とかだと全国民が許容範囲なので、すげえ大人な感じがする。
けれども、彼らはなんか国民関係なく好き勝手に私腹を肥やしてる気がするので、僕は大人とは認めない。それは。
そうなってくると、沢山しょい込んで容量を増やしていけば大人になれそうに感じる。
しかし、残念ながら人間は許容できる容量がそれぞれ違うのだ。
例えば僕がうちの会社の社長くらいの容量をしょい込んだら、すぐ立ち行かなくなるだろう。
僕はそれを「容量が足りなくなる」と表現している。2)ヒソカ感
大人ビジョン
大人になるためにもう一つ必要なのが、「明確なビジョン」である。
いたずらに容量だけ増やしていっても、それはただの「苦労人」である。
自分がどういった大人になりたいのか。そのためにどう容量を使っていくのか。
そこを明確にする必要がある。
実在の人物でもよいだろうし、フィクションのキャラクターでもよいかもしれない。
あるのとないのではかなり差が出るかと思う。
はじめはそのビジョンをもとに、そこに近づけるように心がけていく。今の自分とかけ離れていてもかまわない。
むしろかけ離れていたほうが伸び幅は大きい。
僕はブローノ・ブチャラティをビジョンにしようと思う。
ただ、この「ビジョンと同じ人間になる」ということがゴールではない。
というより、「ビジョン通りの人間になれる」なんてことは普通の人間には無理だろう。
どこかで、「ああいう風にはなれない」、とか「ここは自分とは違う」という部分が出てくると思う。それでいいと思う。
理想のビジョンに近づきつつ、足りない部分を自分にしかないもので埋めていけば、いつしか自分という大人になっているだろう。
僕とブローノ・ブチャラティとの共通点はいまのところ0なので、足りない部分はすべて僕で埋めることになる。
純度100%の僕という大人が出来上がるはずだ。
圧倒的大人
僕がまだ小さい人間だったころ、圧倒的な大人を感じたことがある。
あの衝撃は忘れられない。「これが大人か」と子供ながらに感じたものだ。
「ビックリマンチョコの箱買い」
おそらくもっともシンプルな「大人」は、「大人買いができる人間」ということだろう。
結論
大人になるためには人間的な「容量」や「ビジョン」などが必要だが、手っ取り早いのは「ビックリマンチョコを大人買い」である。
PS. 最近のビックリマンチョコは箱買いしてもコンプリートできない。その事実を知ることもまた「大人」だ