この記事はAgent Grow Advent Calendar 2017の記事です。1)写真は投稿者の家に眠っていたフロッピーディスクです(KAO製)
こんにちは、Miroと申します。
いきなりですが、私はエージェントグローの中では最年長クラスに属する40歳です。エージェントグローは若い会社ですが、社員も若い!
2017年12月時点で、平均年齢は30.3歳。
こないだ、社員の方に「昔、ISDNのCM2)ちなみにこれです
(昔の情報が一瞬で展開できるのはいい時代になりましたね)でSMAPの中居君がでてたよね~」と話したところ、ピンと来ていませんでした。
今回は、私が社会人になった1999年当時のIT事情を振り返りたいと思います。
今から18年程前の1999年、あなたはどこで何をしていましたか?
ネット回線といえばISDN
先のCM中でも言っていますが ISDNのスピードは「1回線 64kbps、2回線分まとめて 128kbps」となります。
「128kbps」と言われても今の方はよくわからないと思いますが、当時アナログモデムによるネット接続が当たり前だった時代にISDNのスピードは驚異的なもので3)アナログモデムは最高で56kbps程度でした、「会社でネットするならISDNを引くのが当たり前4)個人の感想です」でした。
ただし、常時接続なんてサービスは当然ない5)「テレホーダイ」はありましたが、PM11:00~からのサービスなので会社ではできないのです。
常時接続のフレッツISDNが開始したのは2000年から。ので、「必要な時に必要な分だけ接続する」ということをしていました。
接続を切り忘れると電話代がとんでもないことに……。
当時勤めていた会社はネット接続を1台のPCに制限していたため、接続を切り忘れていた場合はほかの社員が気付いたりして恐ろしい事態は回避していました。
ほかの会社とかはどうしていたんだろう……?6)大企業は専用線とか引いていたと思います
1999年といえばアレ!
そう、ノストラダムスの大予言「2000年問題」ですね。
2000年問題(にせんねんもんだい、Year 2000 problem)とは、西暦(グレゴリオ暦)2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた年問題である。Y2K問題(ワイツーケイもんだい、Y は年 (year) 、K はキロ (kilo。千) )、ミレニアム・バグ(millennium bug)とも呼ばれた。
これの本質については各自で調べていただくとして、当時現場でどのような対応をしていたかをご紹介したいと思います。
テレビや新聞などの各種メディアで騒がれていたように思いますが、結論から言えば……
特に問題なかった!
という感じでした。
エージェントグローの平均年齢は約30歳。18年前というと「12歳(小学校6年生)」ですね。
ニュースなんかを見る機会も少なかったと思いますが、それよりも上の世代の方は「さんざん不安を煽っといて何もなかったじゃないか!」と思われた方も少なくなかったと思います。
……しかし、本当に何もなかったのでしょうか?
1999年当時のデザインパターン
「2000年問題」をものすごく簡単に言えば、
西暦を下2桁で管理しているシステムが2000年になると1900年と判断して誤作動をする
みたいな感じです。7)他にも閏年計算の考慮漏れなんかもあります
つまり
年を下2桁で管理しているシステムがどれくらいあって、対応がどのくらい必要だったか?
という点がポイントになります。
1999年当時に新規開発するプロジェクトにおいて、「年を下2桁で管理する」なんていうのはまずありません。
そもそも「年を4桁からわざわざ2桁にする8)「YYYY/MM/DD」を「YY/MM/DD」にする理由は、主にリソースの削減が目的です。
しかし、1999年当時に日付を扱う際は
- 日付型で扱う
- 年は4桁で扱う
というのが当然でした。
「2桁であつかう」なんていうのは過去の遺物であり、バッドノウハウであり、アンチデザインパターンでした。
今でこそあまり気にすることはありませんが、過去にはデータベースやメモリ空間の1バイトが(ソフトの)生死を分けるようなことがありました。
しかし、1999年ごろになると、
気にする必要はあると言えばあるが、西暦の2バイトを削るほど神経質になる必要は無い
ぐらいにまでは進歩していたのです。
涙ぐましいデータ削減術など、もう必要としなくなっていた時代だったんですよね。
現場によっては……
「じゃあなんで騒いでいたんだ?」となりますね。
感のいい方はお気づきかと思いますが、「過去の遺物が残っている現場」の場合にその対応が必要となるのです。
ある現場では、データベースの日付領域を拡張して4桁にしました。例えば、「00年以降だったら、強制的に2000年以降とみなす」といった対応を個別に行っていたようです。
その当時の私は新規開発案件に参画していたので、直接こういった仕事をしたわけではありません。
が、概ねこのようなパッチ的な対応をしていたと聞いています。
エンジニアの努力の賜物
2000年問題の結論をまとめてみます。
「何もなかった」というより、「何も起こらないようにエンジニアが頑張っていた!」
これが本当のところですね。
映画でいえば、
主人公一派が世界の危機をなんとか救ったものの、
世界中の人々はそんなことには気づかずに、普段どおりの生活していた……
みたいな。
世に出るシステムで、「不具合の無い完璧なシステム」というのはありません。個人的には「不具合の数が大きいか少ないか」、「致命的であるかそうでないか」、といった違いに過ぎないと思っています。
2000年問題は、致命的な問題を世にださなかったエンジニアの勝利によって終演したのです。
エンジニアたるもの、これからもかくもプロフェッショナルでありたいものですね。
最後に……
2000年問題(とISDN)だけを語りましたが、本当はもっと当時の話を書こうと思っていました。
- 開発に使っていたのはPC-9821で、モニターはSONYのトリニトロン(17インチ) でかくて大変だったんだよ
- おじさんは一太郎検定3級をとったんだよ
- コード補完機能9)ex) IntelliSenseなんてないから全部自分で書くんだよ
- Googleはないからググれなかったんだよ10)っていうかネットなんてできなかった
- Windows95をフロッピー20枚組でインストールしたんだよ11)CD-ROMももちろんありましたけどね
- マウスはPS/2接続でボール式だったんだよ
- IT事情なのかわかんないけど、現場に寝泊まりするのは普通だったんだよ
- 開発現場でたばこが吸えて12)徐々に禁煙になりはじめた頃ではありました、PCや壁が若干黄ばんでいたんだよ
みたいな・・・
年をとると話が長くなっていけませんね。
機会があれば次もこんな昔話ができたらいいなぁ。
注訳はこちら
↑1 | 写真は投稿者の家に眠っていたフロッピーディスクです(KAO製) |
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↑2 | ちなみにこれです (昔の情報が一瞬で展開できるのはいい時代になりましたね) |
↑3 | アナログモデムは最高で56kbps程度でした |
↑4 | 個人の感想です |
↑5 | 「テレホーダイ」はありましたが、PM11:00~からのサービスなので会社ではできないのです。 常時接続のフレッツISDNが開始したのは2000年から。 |
↑6 | 大企業は専用線とか引いていたと思います |
↑7 | 他にも閏年計算の考慮漏れなんかもあります |
↑8 | 「YYYY/MM/DD」を「YY/MM/DD」にする |
↑9 | ex) IntelliSense |
↑10 | っていうかネットなんてできなかった |
↑11 | CD-ROMももちろんありましたけどね |
↑12 | 徐々に禁煙になりはじめた頃ではありました |